サンオブニューメキシコ <アメリカ暮らし>

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2006年 08月 15日

GC、父 そして私にとっての靖国神社




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まだ、寝ていたいのに。
夢に起こされた、早朝5時。

ふらふらとお手洗いに。
手を洗って、ベッドに戻らず、いつもそうするように
<目覚めの美味しい日本茶>のため、やかんを火にかけ椅子にすわるころ
ゆめが脳裏に甦った瞬間。

亡き父がいた頃住んでいた家の雰囲気。
年下の男の子、家出し、私のところに来た。
悪意もなければ、誠意もない、といった脳天気で憎めない子だった。
(この夢で初めて会った子)

家に送っていくよ。半ば強引に。
私もティーンネージャーらしいのに車で彼を連れて行こうとしていた。

母と姉が帰宅。
かわいそうに、これをもたせてあげてね、と母が私に手渡したのは
20ドル札。(笑!!)

テレビかって来たのよ、とプラズマTV。

夜、玄関をあけ、見た外は、紛れもなく父のいた頃の風景だったな。
懐かしくあたたかい、夢でだけ帰ることの出来る私の場所。

母と姉と、<もうじきお父さんが帰ってくる>と支度を。
父の生前、いつも、そうしていたように。

お父さんが 帰ってくるよ。

お父さん!
おとうさん...




やかんのお湯が沸き、母からの薫りたかい新茶をいれながら
久し振りの<私が10代の頃>の雰囲気の夢だなあ、
父のいる頃の雰囲気を髣髴とさせる夢だったなあ
と。

そして、何度も何度も自分のなかで繰り返してきた自問自答
おとうさんは私が、今こうしてアメリカにいる事をどう感じているかな

それに父が答えてくれた気がした。

まだ見ぬ世界への希求をとめられなかったのは
父がその、背中でみせてくれた生き様。
生まれる時代を間違えたかのような真っ直ぐすぎる魂。

1945年。
終戦。
営々と続いていた、一族の歴史や
土地、地位...それらの殆どを手放さざるを得なかった
(GHQの占領政策_農地解放、公職追放により)
一部の当時の日本人と同じように、時代の流れをただ、
受け止める事をよしとした祖父。

(祖父は、戦前は中学校の校長であり、曽祖父は貴族院議員を務めたそうで
古くから続く一族であった)


祖父の姿と、自分の周囲の変わり様、
その、急激な時代の変遷を、子供心に、見ていた息子としてのわが父。
と、その世代。

その父の、疵。

一人の日本人の。

そんな事を暗示してくれた父の背中は私に
<本当のことを探しなさい>
<色んな世界を見て御覧なさい>

といってくれたと思っている。



祖父の反対を押し切り、特攻隊へ志願し
昭和20年3月、若干21歳で亡くなった長兄をへの尊敬は、いつも感じていた。
けれど、それは賛美だけでなく。

なにか、身内を喪ったことを超える
哀しみの様なものを、子供心にも感じるものだった。

更に、父からかつての敵国への反発みたいなものを感じたことは
皆無、だった。ひとつぶ たりとも。

その年代の方には珍しく、簡単な英語を話した父だった。



若き頃
父を、家への反発、出奔、無頼へ駆り立てたものはなんだったのか。

    

          人一倍、故郷鹿児島への愛着と、
          ふるさとへの郷愁を持っていた事も私は知っている。



オールバック、長身。
薩摩隼人らしい、濃い眉と端整なまなざしの強さ。
若い頃の写真の父は、エルビスかジェームスディ-ンのよう。(!)
きかん気に溢れた青さ、そして
生涯変わらなかった、過ぎるほどの<一本木さ>無垢が
その写真から見える。



翻ればそれは、この現代では弱さでもあったのだろう。
社会、他人との関わりに関して父は生涯、<学ぶ>ことはなかった。

皆が大人になるにつれ、身に着けていく処世、諦めのようなもの
忘れていってしまう何かを
父は持つことなく、ある意味、無垢であるまま
命を全うした。

こうして言葉にすると、格好よく響くけれど
父本人にすれば、満身創痍、苦難の多かった生涯だったことだろう。
父の人情深さ、純粋さを利用したり、傷つけた人の存在も子供ながらに分かっていた。

今ならば
お父さんの持っているものって、希少価値ですよ、この現代で。
誇りに思うべきですよ、と言えたのに。
お父さんらしく、生きていきましょう、私たちらしく。
そんな気持ちになれたなら、怖いものなど何にもない、と

今なら自信持って言えるのに。


でも、私は
父自身の、無垢さを
生涯持ち続け、まっとうしたお父さんを、今改めて
誇りに思います、と伝えたい気持ちで一杯だ。

もう、逢えないのだという、現実の前で得た実感は
<私の見ること、感じることは父もいっしょ>
<私の中に父はいる>


娘として、<父の生きた道>
父のファミリーを通して見えてきた<日本の戦後>

ただの一個人の実感として
それらを深く見据えなさいと、その背中で
<種>を植えるように残してくれた父とその
一族、母にも感謝しているし

そんな、ひとりの人間としての実感で
戦争を、歴史を
世界の現実をみることが、今、大切のような気がしている。


私は、6-7年前の
桜がまさに、満開になろうとする4月のはじめに
念願だった靖国神社へのお参りをした。
Kちゃんと、そのパパといっしょに。

私の叔父様である、特攻隊に志願し、亡くなったその方の
小さな御遺影とともに。
亡き父と共におまいりする気持ちだった。


叔父様の残した、家族への最期のたより(遺書)に
<子孫にも伝えたい事はやまやまですが、書けません>
と。

胸に響いた。
ただ、頭を垂れる事しか出来ない、そんな思い。
想像することが許されるものならば、
無念さというよりも
私たち、後に続く者への押さえ切れないメッセージがこめられていると
私は、感じた。

それは、何であったのですか?

託されているのだ、そう思った。





一体どれだけの方が
先の戦争で傷ついたのか、これは
日本だけでなくて、アメリカ、韓国(現代の呼び方だけれど)、中国
ドイツ。。とにかく、国の区別などなく、いち、人間として
不変のものとしてのいたみ。

それがあるはずだと思う。分かち合えるものが。
そんなごくごく、当たり前の、不変の、人の温かさなんてものこそ
どんな時も底知れぬ力を発揮し
不可能を可能にする。
どんな綿密な<計画><計算>もかなわぬ力。

きけ わだつみのこえに涙すること
ユンドンチュの清冽な詩に感動すること
大地の子 で残されてしまった日本人の子供を
当たり前のように、わが子として育てるおおらかな愛情にも涙する。

私には全て分け隔てない、涙であり、思い。



ところで、

<お墓参り>へ行く行為を非難されたら?
理解を超えることだ。

私はそこに、<敗戦国だからだよ>という
メッセージを受け取る。
情けない気持ちにもなる。いじめと変わらない。
時折目にする、抗議とは言いがたい暴力行為は
侮辱以外の何ものでもないし、
彼らにとって何が一体、大切なものなのか
何が、本当の目的なのかと思ってしまう。

事実を知る事
が、重要、それは時には
理不尽な行為、攻撃を
それと明確に指摘する為。

攻撃でなくね、それが難しいのだ。

優しさこそ真のインテリジェンスが現れるという、言葉があった。
しかし、理不尽なことを受け流すのは
美徳でもなんでもない。
もしも、国内事情の為に日本のこの問題が利用されているとしたら
それは恐ろしくすらある。







話が飛びに飛びました。

冒頭の夢
念願の一時帰国が叶う事となった次の日、
遅れていたKちゃんのGCが届いた次の晩に見た夢なんです。

とても久し振りに、夢に来てくれた父。

よかったな、待ってるぞ。
と、
おめでとうもいってもらえたような気がしました。

これでやっと、スタートなのかもしれません。
お父さん、私といっしょにこれからも、色んなことを
見ていきましょうね。

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by nao-mischa | 2006-08-15 13:40 | 日本