サンオブニューメキシコ <アメリカ暮らし>

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2007年 02月 17日

日本里帰り Part5 きえてゆく<昭和>のレストラン


朝ごはん 待望の 赤ウインナー


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アメリカ生活で、無性に恋しかった食べ物のひとつ、赤ウインナー。
日本で生活している時は、添加物などを気にして食べない時期もあったけれど
お弁当に映える、<赤> 何でできているのか定かではないが、ごはんが進む
なんともいえない味、(お醤油と芥子で食べるのが好き)
子供の頃からの思い出など、なにより、郷愁を誘われるその存在感。
カニさんをつくってみた。

そして、これもアメリカではない、薄い肉付きの小ぶりでも味の濃い、<ピーマン>
細く切って大目の油、高温でさっと一瞬炒めたものと。

とてもとても美味しかった。

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これも米では手に入らなかったあさり、もずっと楽しみにしていた。
連日、朝から食欲旺盛、美味しくて!







さあ、今日から活動開始。
転出転入手続き、失効してしまった運転免許の申請、こうちゃんのパスポートが
もうすぐ切れるのでその申請も。

今回、私のために仕事の休みを取ってくれた母の運転で
こうちゃん、ジョシュアとヌマヅへ、懐かしい道をドライブ。




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踏み切りをみるのも久し振り。道を行く見知らぬ人びとも何故か懐かしく。
洋服の色は皆さん、圧倒的に<黒か茶>ですネ










こんな素敵なネーミングの、整形外科医院を発見!




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いかにも、良くなりそうではないですか!
車内は笑いの渦。

市役所で転出届け。駅前に移動し、パスポート申請用紙を取りに行く。



隣のビルは<沼津軒>というレストラン。

営業していない様子だった。
調べた所、やはり、倒産したそうだ。

地下は<ファミリー中華>という雰囲気の気軽な店、一階は洋食
最上階はちょっとグレードの高い洋食と中華。1000円くらい、大皿いっぱいの<硬焼きソバ>が名物で
わたしは<四川風辛味ソバ>がすきだった。
駅北を一望できる見晴らし。

宴会場もあった、とおもう。同窓会や各団体の定例会の会場といえばここ、というくらい。

地元の人なら皆知っている、昔ながらの<レストラン>の面影を残す老舗。

昔は駅ビルの中、お世辞にも綺麗とはいえない公衆トイレの隣に,支店の中華レストランがあり
こうちゃんがお腹にいる頃、よくひとりで此処の<野菜そば>を食べにきたものだった。
14年ほど前か。

濃いめの醤油味で千切りの野菜炒めがタップリのったもの。癖になる味。
年配の<ウエイター然とした>男性の接客が印象的だった。
白ワイシャツ、黒の蝶ネクタイ。
<フフフ~ン>
いつも静かに鼻唄を歌いながら接客していた、忙しい時でも。
どことなく品を感じる人だったなあ。

中華でも、あんみつやクリームソーダなどがショーケースに並んでいた。

昭和。
家族でお出掛けの日曜の定番、<デパートのレストラン>の雰囲気を残す沼津軒だった。
高校時代、学校を抜け出し、お昼をたべようと一人駅前を歩いていたら、偶然母にばったり!!
まあ!なんて嬉しそうな(ごめんね!)母と、お昼でも食べよう!と、向かったのが
<沼津軒>地下の中華レストランだった。
そんな思い出もある。


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在りし日の沼津軒 一階 拝借した写真ですが



<神戸屋>というベーカリー。
こうちゃんも私も素通りはできなかった。アメリカにはこんなベーカリーは、なかった。
柔らかそうな食パン。コーンの乗ったパン、綺麗な野菜サンド、アンパン、それに
焼きソバパン!
移動の車の中で、その美味しさ、柔らかさに感激しながら賑やかにいただいた。
ジョシュア、食べてご覧!美味しいでしょう!!

そしてイトーヨーカドーの銀行へ。
腹ごしらえを、と地下へ。やはり変化の波はここにも。
新しい(私には)おうどんやさんに。

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舞茸天ぷらうどん きのこご飯 沢庵 ああ美味しい!
全てがおいしい。

そう、市役所の近くにずっと昔から建っていたこのレストラン。

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ムカサキッチン
以前は、<時々開いているよ>ということだったけれど、今はどう見ても
営業しているとは思えない。
ずっと気になっていて、何時かは行きたいなと思っていたのだけど叶わなかった。。

ミートローフライス グラタン ?
どんな内装だったのかな? きっとご年配のご夫婦が切り盛りしていらしたのだろうなあ。

何時頃の建物なのだろう?
なんて、レトロ、趣のある佇まい。看板建築なんて言葉を聞いた事があるけれどこれも
その中の一種なんでしょうか。
こんな古い建物、昔懐かしい佇まいの食堂等に心を惹かれるこの頃。
変わり行く時代、街並みの中にあっても残されて欲しいと思います。

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帰途、暗くなり始めた中、<通ってみようか!>母とこうちゃんと話し、渡米前の思い出深い
住まいの横の方へ車を向けた。
よく歩いた道。大きなSLのある、公園。こうちゃんはパパとよく、キャッチボールをして遊んだ。隣のマンション。<管理人さんは変わったのよ>と母。
2階のかつての住まいを見上げた。
隣の駐車場だった場所は、分譲マンションか何かが建築中だった。そしてそのまた隣、
買い忘れがあっても大丈夫!の近所の<マルトモ>という小さなマーケット。
店の明かりや賑わいも変わっていなかった。店頭に並んだ野菜やお正月のお飾り。

横の路地を進むと、少し寂れた雰囲気の飲み屋街があった。
これも、古い佇まいの小さな小さなラーメン屋。<マルスギラーメン>
10月の渡米を直前に控えた2003年9月の或る日、念願かない、こうちゃんとパパ、3人で訪れる事ができたのだった。
5人も入ると、一杯のお店は、このあたりには不似合いな温かそうな
ごくごく普通の<優しいおばあさん>といった風情のご婦人一人が切り盛りしてらした。

家族連れは少し気後れしてしまう雰囲気の中にこやかに迎えてもらった。
ビール、ラーメン、餃子。
手が届きそうな、カウンターの向こうのご主人は<注文を受けてから包むんですよ>
と、ゆっくりした手つきと動きで調理を始めた。
当時、4年生だったこうちゃん、子連れだとやはり、お話のきっかけは子供の話。
同じ年頃のお孫さんがいらっしゃるとのこと。
瓶ビールをコップに注いで飲み、お店を、それと分からないように見回しながら
次第にこのお店の雰囲気に寛いで、楽しみに餃子を待ち、お話も。

<おこさんを見ると、よーくわかりますよ、どんなふうにに育てられたか。
ご両親の心がけとか優しさがこの子に出ていますよ>

何年も前の事で、ご主人の仰った正確な言葉は定かではないけれど
<私達3人の家庭の絆>をほめて下さったのだ!と、胸が詰まった言葉だった。
思わず、こうちゃんを挟み、隣にいるパパの方を見た。
同じ気持ちだったに違いなかった。
目を見合わせた。涙が抑えられなかった。

3人の何ひとつ、不足もない幸せな暮らしから、新しい世界へ行こうとしていたその頃。
行っておいでと、その頃は言ってくれていてはいたけれど、残るパパ。
ずっと、自負してきた事だったけれど、この、初めて会った人からの、何気ないこの言葉は
いろんな意味で胸に響いて、未だに忘れられない。

パパは何かお礼と同意のような言葉を返しながら、横のこうちゃんに目をやりながら、頭をなぜていた。
私はご主人に気付かれないよう、涙をぬぐった。

暫くして出てきた餃子とラーメン。
家庭的な味を想像していたのだけど、全くそうではなくて驚いてしまう美味しさだった。
<おいしいね!!>目を見開いて、パパに話した。
おいしいね!は幸せだね、と同義語の私達。この晩ほどその意味を胸に刻んだ事は無かったと思う。

今回、立ち寄る機会は無かったけれど、今でも営業している事を祈っている。次回は是非再訪したい。

食事にまつわる、思い出、郷愁は様々な事を甦らせてくれる、私にとって大切なものだ。
更新が中断しているのですが、<元気なうちに絶対、完成させたい>と思っているこのコンテンツ。良かったらご覧になってみて。ちょっと広告が煩わしいですね、ごめんなさい。


帰宅後、弟(4歳下)が<顔をみに>やってきた。その第一声は、<なに人かと思ったよ(笑)>
もう!!

美容院嫌いの私が、3年ぶりの家族との再会に重い腰を上げ(笑)た結果。
折角見せてくれた、カラーチャートも意味なし。(だから、嫌いなのです!)初めての<金髪>体験。おまけに凄い染めムラ。
自分で濃く染め直したものの(2回もかかった)、やはり昔のイメージとかけ離れていたらしい。。
夫、Dはその<金髪>にも抵抗は無かったようで、<なぜ?いいよ、その色>といっていたが
<日本の家族達は、あなたはだれ??というに違いない、こんな髪では帰れない!>半泣きだった。  ヘアサロンでは、ヘアカラーして、温かいお釜に入らされ、<こんなことってあるのか??>疑心暗鬼。
水で流して、鏡の前の自分をみて凄い違和感に包まれた。
例えは違うかもしれないが、アフリカンアメリカンの女性の金髪を見たような。
明るすぎる。。。。そう?
チーフのような人が、わお、ゴージャス!ですって。なにいってるのよ!そんな気分でした。
(話が飛びに飛ぶ今回です)


仕事の話など聞きながら、いっしょにお夕飯と晩酌。久し振りのね。
お互い逢わぬうちに、一人新しい赤ちゃんを迎えた私達。あまり、連絡も無いけれど、
母にはよく、心配して私のことを尋ねていてくれていたらしい。
私のために編集したミュージックCDをアメリカに送ってくれたこともあった。
<よく聞いていたよな、と思って>  アンルイス  長淵剛(これはお願いしたのだった) 
彼も好きな、甲斐バンド、矢沢永吉。昔懐かしい顔ぶれ。聞けないと、無性に聞きたくなる、
懐かしの唄、IN 海外なんです。嬉しかった!

彼の好きな、<タコのおさしみ><和牛!!の網焼き>などをいただいた。
もうすっかり、ここに住んでいるみたい。
夫はこの頃、通じない電話に四苦八苦。帰ったら、E-mailも在った。ごめんね。
やっと留守番に通じたのがこの次の日だったかな。あちこち、用事で出かけていたので。

やっと筋肉痛がよくなってきたこの頃。
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by nao-mischa | 2007-02-17 03:53 | 昭和 過去への郷愁
2007年 02月 01日

日本里帰り Part 2 出発_到着の夜


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もうすぐLA



もう、2月。
ここ、アルバカーキは今朝、何度目かの雪景色でした。

時を戻して。。



12/17 の早朝ABQ発 LAで乗り換えし成田へ向かう。
3年振りの国際線、<魔の二歳児>を連れ、夫なしでのフライト、ということで
ANAを選んだ今回。
米系のエアラインより、なんとなくだが安心できる気がしたので。

前日は夕方の4時から8時頃までやすみ、そのあとは準備の仕上げだった。
やっぱり、おにぎりとゆで卵を用意。もはや、恒例。
偏食気味のジョシュアもおにぎりは大好きだし。

心配は、パパとお別れの時のこと。眠っていてくれればいいのだけど、なにしろ
人と離れる時ひどくないてしまうのだ。

Dの様子も、淋しそうで胸痛んだ。27日に遅れて来るのだけれどね。
X’masツリーの下にカードとプレゼントを置いた。

まだ、暗いABQ空港は閑散として、まだチェックインカウンターも
開いていなかった。
心配したジョシュアは。。
帰りの便を一緒にする都合上、今日のチケットも購入してあった夫が
係員にお話し、機内まで入り、ジョシュアが私に抱かれてミルクを
飲んでいる間に、私に目で合図し外へ。
気付いていたのかいないのか、そのまま離陸。いつものように
眠ってしまい、ほっ。。。

夫がどうやって帰途についているのか、一人の家に戻るのだな、
私達の襲来(!)以前の、ひさーしぶりの独身を楽しんでほしいな
淋しくありませんように
などと、また、LAでの乗り継ぎもスムーズに行きますように
思い巡らせていた出発。

乗り継ぎはかなり余裕があったけれど、やはり巨大なLA空港。
移動もおたおた、あかんぼとストローラーを抱えて
特にシャトルバスに乗るのはきつかった。。。

さすがに日本人が沢山。
そしてこの日は初夏のように暑かった。
汗をかきながら、チェックインを終え、お昼。
フードスタンドで<おそば、ラーメン、カレーライス>を見つけて感激。
これだけで、早や日本気分一杯になる。
お腹はそれほど空いていなかったけれど、迷わず
ラーメン 9ドルちょっと をいただいた。
日本語があちこちから聞こえてくる。
長い事、味わっていなかったこの状況が嬉しかった。

このあたりの写真、おそらく日本にいる間に謝って消去してしまったようだ。
こうちゃんとも話したのだけど
<あのラーメンの写真撮らない筈ないよね>
<うん>

という事で、LA空港の写真はなし、です。残念。

いよいよ、搭乗、心からほっとした。辿り着けた事。

そういえば、グリーンカード待ちで何時帰れるかも知れない頃、運転の度に
<此処で事故など起こして死んだりしたら目も当てられない
生き抜くぞ!這ってでも>

運転だけでなく、どんな状況でも
<もう一度、お母さんに、なつかしいあのうちへ、こうちゃんを
パパに逢わせるまでは死ねない!>

と、オーバーに聞こえるだろけど、これが真実、執念だった。

そんな思いも浮かんだ。

それにしても。。。ジョシュアのパワー全開でこうちゃんとふたり
くたくた、トライアスロンをしているみたいだった。
搭乗を待つ間、<搭乗ぎりぎりまでストローラを使い、降りる時もすぐに
使えるように>(米系エアでは頼まずともそうなっている)頼んでおいたのに
片言の日本語を話す係員(フライトアテンダントかな)が
お預かりしますとか何とか言って、ストローラを持っていってしまった。

ああ、優先で通してくれるのねなんて思ったが、そうではなく。
そのあと、長い事、走り回るジョシュアを追いかけ抱き上げ連れ戻し。
抱かれるのを拒否!の時は巨大こんにゃくと化す、魔の二歳児(笑)

汗だく、早くも筋肉痛!
カシミアのセーターがあせでしっとり。寒いだろうと思い着てきたのだけど。

機内。
日本語の新聞が配られた!!
なんて嬉しかったか!
何処を読んでも、<わあーそうなの>広告も懐かしく。

機内サービスのスナック。
プレッツエルでも、ヒコーキ形のクラッカーでもない
あの、<あられ>!塩味のね。昆布入り。
そして、冷たいお茶の美味しさ!!!
私の知っている<おーいお茶>などではなかった。
<伊右衛門>という紙パックをみやって、これが今、人気なのだろうな。

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お願いしてあったチャイルドミール。
アメリカンな品揃え。チキンの胸肉とマッシュポテトなど。
ジョシュアはバターロールだけ。
美味しかったですよ。

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お蕎麦がなんといっても嬉しい。
これをメインにしてほしいな。
和食という事だったけれど、コーンと豆、赤ピーマンの組み合わせは
アメリカの中華、微妙な日本料理店を思い出させるものでした。

座席の前のテレビ。
邦画、洋画、ニュース、子供向け、日本のTV番組、音楽。。など
バラエティに富んでいてよかった。

シザーハンズを見て大泣きし、トリビアの泉の<消火器何本で人は飛べるか>をみて
こうちゃんと大笑いしたり。
ジョシュアは<ピングー>が気に入ったようだった。

NHKのニュースもほっとするものがあって嬉しかった。
寅さん、UDON...(讃岐うどん、美味しそうだった)

機内では、うとうととはするけれど眠れない。
<今頃、お母さんとパパは成田に向かっているころかな>

向かい風の為、到着が遅れる模様、とのこと。
時計を見ないようにして時間をやり過ごす。

結局一時間遅れだった。
着陸態勢に入るとアナウンスが流れた時は<ああ、とうとう!>
こうちゃんと日本の海を眺めた。

夢の中のようだった。
寝ていないこと、(時差ぼけというのか)疲れもあるのか
飛行機からおりて歩く日本は夢の中のようだった。

またしても、ストローラがなく。
重い手荷物(PCもあったのだ)を抱えジョシュアも抱え
バゲッジクレームを探していた時パイロットらしき御仁達に
場所を尋ねた時の対応の冷たさに
ああ日本なんだ、と感じましたよ。男性の違い、子連れへの不寛容なシステム。

手が痺れていた。

バゲッジクレームにいた、若い女性の係員(ANAの)に事情を話している間
こうちゃんがトランクなどと一緒にぐるぐる回っているストローラを発見。

彼女は詫びながら、トランクを降ろすのを手伝ってくれましたよ。
ありがとう。
それに比べて、男性達が恥知らずに思えた私の目は厳しすぎるのかな。

入国審査官も税関職員の方々も以前より柔和な感じがした。

母とこうちゃんのパパの待つ出口へ。
夢の中を歩くように。

独自の静けさ、これってなんなのだろう。
出迎えの人々の中にすぐに母とパパを見つけた。

いつも母が来ていたようなあの母らしい服。
帽子。
変わってない!よかった。。。

母は笑っていた。いつもの母だった。と思ったのは憶えているが後は記憶にない。

パパも笑っていたけれど、こうちゃんの手をとり
引き寄せて
頭と肩を抱きしめ、おおきくなったなあと震える声で泣いていた。

ただただ安心感。
ほっとした。大きな安心感に包まれ気が遠くなっていくようだった。

無事着いた、無事にまた、逢えたそれだけでない安心感。

もう、大丈夫。というような。
何も心配しなくたっていい。言葉は要らない。
自分を包んでくれる。
それは愛、絆のある故郷のぬくもりだったのだと
今、あらためて感じている。


成田の夜の空気をすいこみ、夕闇につつまれて
車に乗り込んでからも
もう大丈夫。の感覚でみちたりていた。
母の、パパの、私達の中に漂う温かさに目を閉じた。
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by nao-mischa | 2007-02-01 02:03 | 日本里帰り2006暮れーお正月