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サンオブニューメキシコ <アメリカ暮らし>

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2005年 08月 06日

東洋的な見方



東洋的な見方_e0019614_2130257.jpg


New Port Beachへ 向かう道 CA  キャリフォーニア!な風景


停電続きの今日この頃。
また、暑い日が始まった。

ところで皆さんは、(エキサイトブロガーの)編集途中の保存、
どうなさってますか。
これで、4回目、もうすぐ送信!の記事を消してしまい
また書き直し。
がっくりきてます。

あー。。。。

気を取り直して再現。何気なく書いたものではなかったので
非常に、悔しい。
<非公開>で投稿しておいて、完成したら公開に切り替える、と
いうのはどうかしら?

よし! (と、気合を入れる)


東洋的な見方_e0019614_21511779.jpg


本の話を。

硬そうな本でしょう?
読み方に依っては、そうかもしれない。けれど

<禅>という思想、学問 (と、私は思う)への、一般的な距離感や
著された、時代との時間差、状況の違い

それらを超えて、現代に生きる私たちのこころに響く内容。
平易で、美しい日本語で書かれている。

作者最晩年、と、いうことは昭和30年代。
90歳を過ぎられての作品。

20代で<禅>の道に進み、27歳にして渡米。
時は明治30年。
後にアメリカ人と結婚。英語を日常語とし
<西洋生活(精神?)世界>に生き、<禅>そして東洋のよきものを
著作、講演活動のみならず
ご自身の<自由な存在>をもって、世界へ伝えた生涯。

そんな著者のみつめる、東洋そして、日本。
西洋との違い。
<世界人としての日本人>としての意識を持ち
また、そのように生きられた著者の語る言葉は
日本人は勿論、現代に生きる全ての人々への
ユニバーサルなメッセージで一杯だ。



<西洋では物が二つに分かれてからを、基礎として考え進む。
東洋はその反対で、二つに分かれぬさきから踏み出す。>

西洋思想の根底にある<二元性>
それは合理性、知性ともいえ、科学の発達、哲学の誕生などを
促してきたものである、と。けれど、

<主と客、われと人、自分と世界、心と物、
天と地、陰と陽、善と悪、能造と所造、...味方と敵、愛と憎しみ

その他あらゆる方面に対立が可能になる。こんなあんばいにして
まず二つに分かれてくると、それから無限の」分裂が可能になってくる。
...(中略)その結果は人間の考えが、いやがうえに紛糾する。
手のつけられぬようになる。
...枝葉がはびこると、しぜんに根本を忘れる。
二分性の論理はそういうことになるのが、常である。>



二元性の論理だけでは、人の世はまわらない。

対極の間には、隙などなく
<それを見抜くのが禅の修行>であって、いってみれば
曖昧さから何かを見ようとする、東洋的見方も必要だと作者はいう。



<日本人の感傷性>に厳しい目と批判を向けながらも
<東洋民族性の心理の奥底に、すこぶる幽玄なるものがあって、
これを自分は世界の至宝だと思っている。...
世界の人々は、ここにおいて、その霊性の上に
新しい者を見ることになると、自分は信じて疑わぬ。>


私はここに、東洋賛美ではなく、世界観を感じる。
文化観とも。



対極にあるものは、実はお互いを基底にし合って存在している、
<分別と無分別>のように。

考えてみると、全てそうだなと思い至る。
右と左、なんてことから
幸せと不幸せも
闇と光
喜びと哀しみ
有限と無限
天と地、そして、東洋と西洋すら、そうだ。




そして、禅の立場で解釈する日本語についての記述が
興味深い。
<自由><空><妙><自然><詩>

英訳との距離も。
<自然>はネイチュアではなく、<自由>はリバティでも
フリーダムでもないと。

西洋思想が(或は英語が)入り始めた頃、
リバティやフリーダムを和訳するのに苦労した学者の
苦し紛れの選択だ、とおっしゃる。

意外だが、自由とは<元来東洋の語>で
西洋のそれは、
<消極性を持った、束縛または牽制から解放せられるだけの義>
だそう。



まだ、拾い読みの段階である今、一番惹かれた言葉が、これ。


自由・空・只今


<...空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
here now がそれである。>




自由の本質とは。。
<松は竹にならず、竹は松にならずに各自にその位に住すること、
これを(略)自由というのである。>

空。
<空空寂寂の空ではなくて、森羅万象、有耶無耶(うやむや)が
雑然として、無尽に織れているところ、それが直ちに「空」の座である。>

引用がながくなってしまうけれど、続けて

<精進や忍辱がそのままに、精進でなく、忍辱でない
時節 -タイム(著者によるルビ)がある、
境涯 -スペースがある。
境涯が時節で、時節が境涯である。
ここに、時間と空間とが一念の上に体取し看取せられるのである。
じぶんはこれを、0=∞、すなわち
「零イコール無限」という。  「空」の世界をここに認得したい。>





たとえば、
月の輝く夜空を見上げている時
せいせいとする位の孤独、でもそれは寂しさでは決してなく

ああ、ひとり、ここに立っている、と
いのちを頼もしく思うような瞬間、そんな気持ちに
襲われることがときおりある。

喜びに溢れている時は勿論、むしろ
困難にあるときの方が、そんな力が湧いてくる。

手探りでも自分の足で立ち、生きている、という実感。
感じ取れる心があれば、後は何も怖い物などない。

<天上天下唯我独尊>
ちっぽけな、一生きとし生けるものが
無心で この世と対峙した時に気付く
無限の可能性。
肌で感じる瞬間。

馴染みのなかったこの言葉には、こんな意味も
あるのかもしれないと思う。

困難、哀しみ、挫折、そんなものもいきていればこそだ。
どんな自分がそこにいるのか
そこに立ち止まって眺める逃げない。
いのちのもたらす、全てを甘受し慈しむ

それは自分が選んで歩いている道だからだ。その自由さ。
未知、或は未来への好奇心
それと、瑞々しい感じ取る心があるなら大丈夫、
と、私は思っている。


■ 


禅のエッセンスが、現代にも
私達にも身近に感じられる、簡潔でいて
示唆に富んだ古典的な日本語の美しさ!

随所にみられる漢詩も新鮮に響いた。
勉強の余地、大いにあり、だけれど興味が湧いてきた。

<禅語入門>
という本を20代後半に買った。
ハードカバー。出版社などは覚えていないが薄茶の背表紙。
特に禅に興味があったわけではなく、ふと手にとって
ぱらぱら斜め読み、内容が気に入って買った本だった。

聞き覚えのあるものから、初耳のそれまで
男女七つにして席を同じゅうせず
(よい例を挙げられなくてごめんなさい
20年近い過去なので憶えていないんです)
のような警句が箇条書きで並ぶ目次。

各ページにその説明がある。
こんにちに照らした書き方で判りやすかった。

単純に<よみもの>としても楽しめるし、示唆にも富んでいた。
読み手に依って意義が変わる、素晴らしい本だったと思う。

もう一度、読み返したい。
日本の住まいを閉じた時(2003年12月)沢山の本も処分した。

この本が残っていればいいなあと、祈る。





生まれ育った国を離れ暮らす中で
初めて見えてきた日本、
自分自身がある。

日本にいると日本が見えないなんていうつもりは全くないが
外から、だからこそ見えるもの
それがあることは、確かだ。

日本にいたら、こんなに自分が日本人であると
思い知る事はないだろうな
と、感じる瞬間がよくある。

そんな発見への、漠然とした希望が
アメリカ行きを決めた一つの動機だった気がする。

違いといっても
<駐車は前向き>とか<運転マナーにみる気質(テンパー)>
なんて、ごく、トリビア的な事、
ありふれた日常、個人的感慨から

1945年に日本が得たもの
喪ったもの、
世界の中の日本を正しく知る為であったり


これからこの本をじっくり読んでいく中で得られる
拡がりを確信している。





<文明の衝突と21世紀の日本>サミュエル・ハンチントン 
集英社新書
<宿命の越境者イサム・ノグチ上下>ドウス昌代
講談社文庫

これらも日本文化の独自性、
世界の中の日本といったものに触れる本です。
おすすめ! けして難解ではないですよ。


ここまで読んでくださった方、ありがとう。
お疲れ様でした!


by nao-mischa | 2005-08-06 02:50 |


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